今日の「ぞうさんの家」

今日の「ぞうさんの家」は「歌って楽しく」の日。

屋敷山公園の木々はわずかばかりですが色づき始めています。
屋敷山公園
畝傍の間に入るといつも世話をしていただいているHさんの姿がありません。ご夫妻そろって友人とアメリカ旅行中らしく、ブロードウェイでミュージカル(ライオンキングなど)を楽しむ予定だそうです。

今日の「歌って楽しく」に初参加の方がいらっしゃいました。私が勤めていた学校の元同僚が「家」にときどき顔を見せてくれているのですが、その方がNさんという元教師(私も知っている方でした)の方を連れてきて下さったのです。

そのNさんの手土産を見てビックリ…。昔のことですが2002年と2004年に「TVチャンピオン」という番組で2度もチャンピオンになった和菓子工房のお菓子だったのです。その方の娘さんを担任したことがあり、その店(富田林と羽曳野)のこともよく知っていたので……懐かしくおいしい和菓子をいただきました。
手土産
「歌って楽しく」は毎回、何曲も歌集の中から選んで歌うのですが、今日は2曲歌っただけ。ある映画の主題歌の楽譜をどなたかがお持ちになって、その6番まである曲を3,4回、もう1曲もあまり馴染みがない曲だったので2回ほど…歌ったのはこれだけ…。
歌って楽しく
ということは……ほとんどがオシャベリの時間だったのです。
おしゃべり
これが「ぞうさんの家」のいいトコ!?でしょうね。気兼ねなく言いたいことを言って笑い合う、楽しい時間があっという間に過ぎ、11月と12月の予定表をいただいて、解散。
畝傍の間
空は一日中ドンヨリとして鬱陶しい日でしたが、「畝傍の間」だけはアッタカくて清々しい空間でした。
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中仙道六十九次~はやぶさ新八御用旅~

平岩弓枝の「中仙道六十九次~はやぶさ新八御用旅~」(講談社)を読みました。
中仙道六十九次
今春、シリーズ一作目の「はやぶさ新八御用旅~東海道五十三次~」を読んで、二作目も読みたいと思っていました。いつの間にか前作を読んでから7ヶ月も…。

前作では主人公の南町奉行内与力隼新八郎は、下僕の治助とともに京の鷹司家に祝物を届けるため江戸を発ち(道中で襲われるかもしれない藤堂家の姫を護り、無事に津へ戻ることができるように警護するという密命を帯びて)、東海道で京に上りました。

本書では、無事に役目を果たした「はやぶさ新八」が京都所司代酒井讃岐守の依頼を受け、御所役人の不正事件を摘発するために協力することになり、およそ2ヶ月の間京に留まって探索するところから始まります。

「BOOK」データベースには、次のように紹介されています。
主君の命によって上った京の町で、禁裡の向こうを敵に回す難事件を解決した新八郎。江戸への帰路は、薄幸の母子を信濃まで送り届けるため、中仙道を辿ることに。だが、街道の先々に胡乱な影が待ち受け、卑劣な罠が仕掛けられていた。さらに新八郎に振りかかる、思いも寄らぬ女難とは?新シリーズ第二作。

新八と治助が厄介になっていたのは町屋で、団子屋を営む女主人の小篠と5歳になる小太郎が住む家。この家を紹介した人物は小篠の兄で、「不正事件」に関わっており、小篠の夫を殺害したことにも関与していたことが判明し…不正に関わっていた御所役人たちは断罪されます。

小篠は小太郎とともに郷里の善光寺に帰ることになるのですが、「不正事件」摘発を逆恨みしたものたちに追われることになり、親子を護るために中仙道を下って善光寺を目指すことになります。

この時代小説が面白いのは、京を発ってからの道中記。もちろん道中で命を狙われ、正体の分からない、見えない敵との戦いもあってのんきな道中記ではありませんが。

中仙道の名物や景勝地、その当時の旅の苦労が描かれていて、京での不正探索を描いた場面よりは何倍も楽しく読むことができました。

この「はやぶさ新八御用旅」シリーズはすでに6冊目まで出版されています。次は第3冊目「日光例幣使道の殺人」を図書館で見つけたら読もうと思っています。
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「60歳からの『ゆったり・これから倶楽部』」でアコ演奏

松原アコーディオンクラブは松原市生涯学習地域サポーターとして登録しています。この松原市生涯学習地域サポーターを通称で「まっcom」と呼んでいます。

「まっcom」からの依頼で松原市内の様々な催しに松原アコーディオンクラブとして出かけているのですが、今日は公民館の連続講座「60歳からの『ゆったり・これから倶楽部』」の講座としてアコーディオン演奏とアコ伴奏による「歌う会」がありました。
室内掲示
「連続講座」の内容を見ると「脳の働きと人生(講師は淀川キリスト教病院名誉院長)」や「金融トラブルに巻き込まれないために」などという学習会ばかりではなく、高野山や大正区への社会見学なども…。3ヶ月に9回もの「講座」があり、今日は「アコーディオン演奏を楽しもう!」というテーマでした。

松原アコからは8名が参加。11時に松原公民館に集まって合奏や重奏、歌伴の練習を行いました。
松原公民館 公民館での練習 伴奏練習
昼食をはさんでの練習を終えてから隣にある松原図書館へ。この建物の2階が「講座」の会場です。
松原図書館  
講座は午後2時から4時までで、前半はアコーディオン合奏と重奏、そしてKさんからアコを弾き始めたきっかけなどのお話と独奏、ドエライ男前によるアコーディオンという楽器の説明と独奏。
合奏 重奏1 Kさんのお話と独奏 楽器紹介 独奏(楽器紹介)
後半はYさんとAさんが伴奏し、Mさんが歌唱リーダーとなっての「歌う会」。歌詞は公民館の方が準備して下さり、スクリーンに投影したものを見ながら70名ほどの参加者が歌いました。公民館の方に伺うと、参加者の年代は高くて60歳代の方は少なく、70歳代が中心とのこと。80歳を超える方も参加されているそうです。
重奏2 歌う会 歌う会 (2)
魅力的な各種「講座」の中にアコーディオン演奏が入っていることはウレシイのですが、チョッピリそぐわない感じがしました。
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「アコーディオン…形態の変遷について」=その2=

前回と同じく「アコーディオン・ジャーナル」1979年3月号の記事の続きです。
表題

ハーモニカの誕生
若いC.F.L.Buschmannは父がリードオルガンを作る際音を確かめるため,一個一個口で吹くのを見ていたが1821年,16才になった彼は,父がTerppodionの売込みのため,国内を旅行中,こんどはベルリンで15個のスチールリードと音室を持つ長さ10cmほどの楽器を作った。

彼はこれを”Aura”(アウラ)と名付けたが,これは吹吸異音のダイアトニック楽器であった。(この楽器は“Mundaeoline”口風琴とも呼ばれれた)。このAuraは,始めBuschmannにとり,吹吸におけるリードの機能を調べるための実験道具にすぎなかったが,次第に彼はこの楽器を旅先で演奏しては,その町の人や旅人たちを楽しませるようになった。

この美しい音色は人々の心をとらえ,オーストリアのウィーンに戻り着いた時,そこに大流行をまきおこし,いつしか国内に広まっていった。

1827年,黒い森の町として知られる南ドイツの,Trossingenに渡ったAuraは,織物屋のChristian-Messmerの手によって,現在の様なハーモニカに仕立てあげられ(図ー2),後にHohnerにより量産される運命となったのである。
図-2(ハーモニカ)

手風琴の発明
Buschmannは,又,Auraをピアノやオルガンの調律道具にも使用していた。しかし,片手で常にAuraをおさえていなければならず,調律作業に不便を感じた。そこで,1822年,彼は新しい調律道具を作った。

それは新書版ほどのサイズの箱に3枚ひだの蛇腹がつき,20コの調律されたリードを備えたものであった。

蛇腹をひろげ,20コの穴に付いたバルブの内,1コを開け,テーブルの上に置くと音が流れ,彼は両手でピアノやオルガンの調律を行うことができた。

同じ年に彼はこの道具の原理をもとに,始めてHandaeoline(ハントエオリーネ,手風琴)を作った。(図一3)
図-3(Handaeoline)

これは調律道具の蛇腹の端をふさぎ,引いても鳴る様,逆向きのリードも付け加え,バルブをボタン,又は棒状の鍵盤で操作するもので,今日のDiatonic・Accordionの元祖であり,1コのボタンを作動することにより蛇腹を押すと“ド”,引くと“レ”の音が出る押引異音式のものであった。

又,Buschmannは,この手風琴の名手であったといわれている。〈つづく〉
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「アコーディオン,150年の歩み=その形態の変遷について」=その1=

谷口楽器さんのご厚意で「アコーディオン・ジャーナル」の記事をこのブログで何度か紹介させていただきましたが、先日の記事で「打ち止め」にするつもりでした。しかし、何人かの方に「続けてみては?」というお声を頂戴し、前言を取り消させていただくことにしました。

今回は「アコーディオン・ジャーナル」1979年3月号から5月号まで連載されていた「アコーディオン,150年の歩み=その形態の変遷について」という渡辺芳也氏が書かれた記事を何回かに分けてご紹介します。
1979年3月号
表題
C.F.L.Buschmann

あらゆる楽器の発展に歴史があるように,アコーディオンにもやはり歴史がある。

これからこのアコーディオンの歴史を見るにあたり,まずはC.F.L.Buschmann(1805-1864)の名前を欠くことは出来ないであろう。

ChristianFriedrichLudwigBuschmann. 生まれは1805年6月17日。中部ドイツFriedrichrodaにおいて,楽器製造者である父,J,D,Buschmann のもとに生まれた。BuschーMann家は代々楽器製造を営んでおり,彼も子供のころから父の楽器作りを手伝っていた。父は1816年に当時流行していたグラスハーモニカよりヒントを得て,Terpodionという楽器を考えた。

この楽器は足動でぐるぐる回る木製の音盤をピアノ式鍵盤の先についた棒がこすることにより,音が出る仕組みであり,ヨーロッパ中で大反響を呼んだ。又,ヨーロッパでは当時,すでにフリーリードによる音楽について知られていた。
このフリーリードの原理は中国で数千年前に発明されたSheng(笙),図1図-1(笙)がポルトガル経由,又はシベリア経由でヨーロッパに渡ったものであり(すでに16世紀にはヨーロッパの文献にShengの説明が見られる),多くの学者や職人の興味を引き,Haeckl,Vogler等により,リードオルガン製造に利用されていた。

この様な中,J,D,Buschmannは,1815年頃,3.5オクターブである“Aeoline”(エオリーネ,風琴)というリードオルガンを作った。

この楽器には蛇腹が2コ付いており,楽器を膝の上にのせ,足で交互に操作したといわれている。

1816年にはこのAeolineは改良され,蛇腹がペダルで作動される様になり“Aeolodikon(エオロディコン)という名前が付けられた。〈つづく〉
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プロフィール

キク

Author:キク
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◆松原アコーディオンクラブ・奈良アコーディオン愛好会・ぱすとらあるアコ所属。
◆日本アコーディオン協会評議員

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